2011-10-16
私が高校生の頃、入院していて、父のお弟子さんがお見舞いに来てくれました。
その方は60歳くらいの女性でした。
しばらくすると、幼い頃から今に到るまでの身の上話をして、しまいには泣き出してしまいました。
初対面なのに、なぜ若造の私に、という疑問がふつふつとわいてきました。
それからも、ときおり似たようなことがあり、私には、相手の本来の姿に還らせるなにかがあるのかもしれないと思うようになったのです。
人は辛い出来事を重ねれば重ねるほど、本来の自分自身が、心の奥の隅に追いやられ、封印されてしまうものです。私には、その封印されたものを開封させるなにかが、それは私ではなく、私の背後とうえにいる方々がそうさせているように思えてなりません。
私も強制されたり、考えを押しつけられるのは嫌なので、私も相手の個性、思い、考えを尊重したいと思っています。
よく相手を自分色に染めたいという人もいます。
相手が嫌がっていても強制的にさまざまなことを強いる人もいます。
そういう人は、サドか、器が小さい、精神的に幼い人だと思います。
そのような話を聞くと、とても胸が痛みます。
怒りを通り越して悲しくなります。
あなたが変わらないとまわりも変わりませんよ、という人もいます。
ですが、本来の自分らしく生きているだけなら、なにも変わる必要はないのです。
本来の自分自身を見失っている、というなら、本来の自分自身に還ればよいだけです。
私たちはみな、自分色を持っているはずです。
相手の心に自分色を塗りつくそうだなんて、相手は人形ではないのです。
心と感情を持った血の通った人間なのです。世界でただひとつの個性を持った命なのです。