結夢先生の日記

2025-04-15

精神性の高さと周囲の摩擦

本人がどんなに修行し鍛練し我慢をしたところで、周囲が変わるわけでも周囲が理解できるわけでもありません。


悲しい話ですが精神修行をすればするほど、周囲との摩擦は高くなりそして自身も周囲に気がつかなくなります。
俯瞰して冷静に自身も含めて見ることが出来てはじめてメンターはメンターとして機能できるのです。


自身を高次元の存在と思い込むのは勝手です。

ただ、自身で苦行を課したのに周囲が理解できない、してくれない、見てくれないと嘆くのは愚の骨頂です。


周囲が認めてくれないからと千日回峰行を成し遂げ、寺をついだお坊様のお話を聞きました。
成し遂げたことは立派だったけれど、あまりにも偉業過ぎて誰も自分の説法を聴かなかった……と。


精神性がいかに高くとも、相手に寄り添い話を聴けなければ、精神性が低いものは聞き入れず敵対してきます。
それが理不尽と思うなら、相手へ怒りをぶつけたり不平不満を漏らす前にまず自分がどの位置から相手と関わっているか俯瞰して見ます。


どんなに苦労してる人でも
どんなにお金を持ってる人でも
どんなに能力がある人でも
どんなに未来が視える人でも


視点が合わなければ意見も合わず、相手にもされません。

いっぱい苦労してるのに報われない、理不尽だ……けれど修行と思って我慢してる!

立派だと思いますが、精神性が低い人間を見て「なんであんななの?」と思った瞬間、高めた精神は水と同じで低い方へ流れる。


自分が今の環境を生かしてどんな高いところを見られるか。

本当に精神性が高く、尚且つ理不尽に負けない人、マインドフルネスを発動できている人は、自分より低いところや理不尽を与えるところへ意識を向けません。

常に「私の向かう明るい未来」と「今の自分」だけに集中しています。


嫌いなヤツやムカつく出来事、辛く悲しい思いは理不尽にやってきます。
仏教の修行ではこれを自身にわざわざ課し、三昧することによって己を高次の精神へ引き上げ、現世を俯瞰で見つめ、理不尽に嘆く我々を救う言葉を与えるのだと聞きます。


頭が良く、また感受性の強い他人に優しい方はこの苦行を救いのごとく無意識に己に課すのですが……
自分に目を向けられない為、いつまでも理不尽なままなのです。


自分は周囲のどの位置にいて、自分は何処へ行きたいのか。


自分が理不尽に思うことは相手にとっては理不尽ではないのか?


論を並べるだけなら誰でも出来るけれど、論を咀嚼し己の力に変えて行動できる人間は少ない。


私も数多くのメンターなクライア様とお話させていただきましたが、論は短く自身に答えを持っている方が多い。
鑑定時間は短くなってしまいますが(笑)理解が早く、また成功を引き寄せられるのも早かったです。

持論や思いこみばかりに囚われている方は、全てを否定し想像力もなく、目の前にぶら下がった解決策を無いものとして試しもせず「周りが悪い」「相手が動かない」と周囲ばかりに求めるのです。


本当の解決策は何処にあるのか。


一辺倒のマインドセットからマインドフルネスへフルリモート出来るアセッションへのリーダーになれるよう日々精進していこうと思います。


何処の誰が作ったか知らない横文字用語に依存せずに「自分」が納得できる世界を手に入れるために。

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