舞香先生の日記

2023-09-19

神様と共に歩むこと

私は神様をどのように認識するかはとても大切なことだと思うのです。
神様と言っても私は無宗教だし、特的の「The・神様」という訳ではありません。
人によっては「宇宙」だったり「愛のエネルギー」だったり「キリスト」だったり「アラー」だったり。
私みたいになんとなく「神様」だったり、なんでもいいと思うのです。
私は引き寄せの法則を信じているので、その法則があるのだから何らかのSomthing Else的存在がいるだろう、と感じていて、その存在を今は「神様」と呼んでいるのです。
宇宙と呼んでいた時もあります。
要は「今はその存在を神様と呼ぶのが何となくしっくりくる」というレベルの話です。

大切なのは、自分が本当のところ神様をどう見ていて「神様へのその視点は自分にとって役に立つ視点だろうか?」ということだと思うのです。
私は神様は「神様が全てを受け入れて叶えてくれる全知全能の愛の存在」と思っています。
自分の内のあらゆる方向に、そのような観念が浸透していれば、そのような神様と歩む人生が出現すると思うのです。

でも「神様って全知全能で全部叶えてくれるよね」と頭では思っていても、そう信じていない自分に気がつくことが日々あるのです。
だって、もし100%完全に「神様って全知全能で全部叶えてくれるよね」って信仰している私ならば、その完全な力を手にして、魔法でも使って空を飛んでいるでしょう。
でも私はそうではないので、思考とは裏腹に「神様の力」を低く見積もっている視点があるのです。

例えば、私が何か行動を起こそうとして「でも失敗したらどうしよう」と躊躇するならば、それは神様を低く見積もっているのでしょう。
だって「私は成功する」という思考で行動を起こして、引き寄せて、成功を受け取れるはずなのに、そこにうまくいかないかもしれないという「不安」があるなら、私は神様の力・サポートを信頼しきってない部分があるはずなのです。

そうではなく、「いやいや神様は信じているよ。でも自分が足りていない、と思うのです。自分の力の問題なのです。」という時も、やっぱり神様を小さく見積もっているのです。
だって「自分を足りない存在に留めておく」神様を信じていて、行動に伴ってその都度成功に必要な十分な才覚を与えてくれる神様の側面を信じていないのです。

だから、何か不安を感じる度、窮屈さを感じる度、「本当のところ神様(引き寄せの法則)をどう信じているの?神様(引き寄せの法則)が何でも叶えてくれる存在ならば、この不安を持つことは妥当なのだろうか?」と考えることができます。
たいていの場合、不安は全然妥当ではなくて、手放していけるものだってわかります。
一度で手放せないこともありますから、そういう時はいつも不安になる度同じ質問を思い出します。
「本当のところ神様(引き寄せの法則)をどう信じているの?神様(引き寄せの法則)が何でも叶えてくれる存在ならば、この不安を持つことは妥当なのだろうか?」って。
そうしている内に、私の持っている神様への認識が拡大していって、それと共に私はもっと自由になっていると思うのです。

そして最も重要なポイントは「神様=自分」と置き換えれるところだと思うのです。
「本当のところ『自分』をどう信じているの?『自分』が何でも叶えてくれる存在ならば、この不安を持つことは妥当なのだろうか?」
自分を信頼することが心地よいならば、こうやって問いかければいいし、自分を信頼できないと思うなら、神様を通して自分への信頼を取り戻せばいいと思うのです。
いずれにしても「神様=自分」になっていくと思うのです。

私は私たちの内側にある神聖な力、神様の存在を押し殺したままではいたくはありません。
日々できる限り気がついて、認識を改め、小さく見積もっていた神様(自分)の力を解放したいのです。
なんとなく「神様っているよね」っていう遠い存在ではなく、深く交流しあって、その偉大な力と共に望む限りの人生を歩みたいのです。世界中の人々が自分(神様)の力への認識を拡大し続けたら、この正解は誰にとっても限りなくすばらし場所になっていくように思います。

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