
『御神籤のお話』 日付:2024-12-24
結夢です。
年末年始が近づいて参りました。
神社仏閣に参詣される機会が増える時期ですが、皆様御神籤(おみくじ)を引かれるのではないでしょうか?
この御神籤、我が国発祥のモノなんです。
しかも、今の形とはだいぶ違う形で産まれております。
今に至る御神籤の発祥は実はお寺。
比叡山延暦寺の塔中である横川に在していた良源という高僧によって始められました。
良源は若くして天台宗の宗主となり延暦寺と天台の中興の祖と言われる名僧でした。
彼が天台の教えであるところの「一隅を照らす身となれ」を実践するうえで、「人の悩みを聞き、導を示す」為の方法として編み出したのが御神籤の発祥といわれております。
良源は正月の三日に入滅したため後に「元三大師」と呼ばれ親しまれるようになり、現在横川にある彼の在家跡に建つ四季講堂は別名「元三大師堂」と呼ばれており、原型の御神籤は今でも此処で受けることが出来ます。
……そう、「引く」のではなく「受ける」のです。
原型となる御神籤はどちらかというと「易占」に近いもので、運勢の吉凶というより、悩み事(占的)に対するアドバイスをランダムに得るというモノです。
手順としては、まず悩み事を所定の用紙に書き認め、四季講堂の住職に託します。
住職は元三大師に祈祷し、悩み事が籤を引くに値するか深甚します。
祈祷の結果、籤を引くに値するとなれば、再び大師に祈祷し、後に籤を住職自らが引きます。
元三大師の教えを元にした教典があり、籤の番号と合致する項目があるので、住職は依頼人と正対し、教典の項目の内容と悩みを摺り合わせ、自らの解釈も加えて依頼人に指南を授けます。
このように、ちょっと重めの「相談事」のような感じになりまして、今の御神籤とはかなり異なります。
今のような形になったのは恐らく江戸時代、神仏習合の折りに原型の籤に神道の吉凶判断が混合して産まれたものと思います。
さて、ここからは現在の形の御神籤のお話を。
皆様、御神籤で「一番良い」モノとは何でしょう?
多くの方は「大吉」とお考えではありませんか?
これ、運命学から申し上げますと間違いです。
実は、現在の形の御神籤には多かれ少なかれ易学の考えが用いられており、「運のピークは最良に非ず」と考えますので「大吉」はあまりよろしくないのです。
つまり、「大吉を引いた今が運勢のピークだよ」と言うことになるわけです。
ピークは過ぎれば後は下り坂。
「大吉」とは「この先の低迷に備えよ」との戒めになるわけです。
低迷する前に気付き、対処できる状況ですよ、という意味で「大吉」なのです。
但し、その時点で「大きな負」を抱えていたなら、大吉は「大逆転」を意味し、吉意は強くなります。
では、御神籤で本当に「一番良い」のは何か?
それは「平」又は「吉凶無し」となります。
え?
そんな籤見たこと無いって?
でしょうね。
現在多くの寺社にある御神籤には入っていない文言ですから。
でも、有るところには有りますし、正式な御神籤の吉凶の段階には明示されているものです。
私的に考える理想的な御神籤の段階は……
大吉
吉
平
凶
大凶
だと思いますね。
伏見稲荷辺りだと12段階ある御神籤があるらしいですが……
では何故「平」「吉凶無し」が最良と言えるのか?
易学の観点から申しますと、運勢に「波」はつきもですが、波があることは必ずしも良いとは限りません。
「波乱」なんて言うぐらいですし。
ですので、古来より、特に東洋の人々は「平穏な日々」を最良と考えてきたのです。
「何も起こらない事が最も良い」と言うことです。
確かにそうかもしれません。
もし「何かあった」ら、今と同じ気持ち、同じ心で「次の瞬間」「明日」を迎えられるでしょうか?
「何事も無い」事こそ最大の幸福と言うことは言えないでしょうか?
この辺が西洋とは違う所で、運命学の世界でも西洋では「変革」「波乱」が逆に吉とされています。
でも、これは洋の東西に優劣を付けるのではなく、それこそ陰陽論の教えにある「陰陽混交」して新たなるモノを産み出す、西洋は「陽」であり東洋は「陰」なれば、並立して「両儀」となり、世界に常に変化を促し続ける。
その中で、東洋に属する我々は「動より静」に順応し、行き過ぎた変化を抑制する役割を担って来た。
故に、「平穏」を最良としている。
如何でしょうか?
もし、近々に御神籤を引く機会がありましたら、その場の吉凶に一喜一憂せず、是非とも御神籤の文面全てに目を通して見てください。
最近の「縁起物」としてカスタマイズされている御神籤でも、同じ大吉や吉であっても番号によって内容はかなり異なるのに気づくと思います。
そして、御神籤は引いたら是非ともお持ち帰りになり、心願・環境・不成就事などが一段落してから、引いた寺社にお納めになってください。
決して「大凶」だから「縛って置いて帰る」等ということはなさらぬよう。
「大凶」とは「底を打った」状態であり、大凶の御神籤の文面は持ち歩くだけで戒めになりますから。
年末年始が近づいて参りました。
神社仏閣に参詣される機会が増える時期ですが、皆様御神籤(おみくじ)を引かれるのではないでしょうか?
この御神籤、我が国発祥のモノなんです。
しかも、今の形とはだいぶ違う形で産まれております。
今に至る御神籤の発祥は実はお寺。
比叡山延暦寺の塔中である横川に在していた良源という高僧によって始められました。
良源は若くして天台宗の宗主となり延暦寺と天台の中興の祖と言われる名僧でした。
彼が天台の教えであるところの「一隅を照らす身となれ」を実践するうえで、「人の悩みを聞き、導を示す」為の方法として編み出したのが御神籤の発祥といわれております。
良源は正月の三日に入滅したため後に「元三大師」と呼ばれ親しまれるようになり、現在横川にある彼の在家跡に建つ四季講堂は別名「元三大師堂」と呼ばれており、原型の御神籤は今でも此処で受けることが出来ます。
……そう、「引く」のではなく「受ける」のです。
原型となる御神籤はどちらかというと「易占」に近いもので、運勢の吉凶というより、悩み事(占的)に対するアドバイスをランダムに得るというモノです。
手順としては、まず悩み事を所定の用紙に書き認め、四季講堂の住職に託します。
住職は元三大師に祈祷し、悩み事が籤を引くに値するか深甚します。
祈祷の結果、籤を引くに値するとなれば、再び大師に祈祷し、後に籤を住職自らが引きます。
元三大師の教えを元にした教典があり、籤の番号と合致する項目があるので、住職は依頼人と正対し、教典の項目の内容と悩みを摺り合わせ、自らの解釈も加えて依頼人に指南を授けます。
このように、ちょっと重めの「相談事」のような感じになりまして、今の御神籤とはかなり異なります。
今のような形になったのは恐らく江戸時代、神仏習合の折りに原型の籤に神道の吉凶判断が混合して産まれたものと思います。
さて、ここからは現在の形の御神籤のお話を。
皆様、御神籤で「一番良い」モノとは何でしょう?
多くの方は「大吉」とお考えではありませんか?
これ、運命学から申し上げますと間違いです。
実は、現在の形の御神籤には多かれ少なかれ易学の考えが用いられており、「運のピークは最良に非ず」と考えますので「大吉」はあまりよろしくないのです。
つまり、「大吉を引いた今が運勢のピークだよ」と言うことになるわけです。
ピークは過ぎれば後は下り坂。
「大吉」とは「この先の低迷に備えよ」との戒めになるわけです。
低迷する前に気付き、対処できる状況ですよ、という意味で「大吉」なのです。
但し、その時点で「大きな負」を抱えていたなら、大吉は「大逆転」を意味し、吉意は強くなります。
では、御神籤で本当に「一番良い」のは何か?
それは「平」又は「吉凶無し」となります。
え?
そんな籤見たこと無いって?
でしょうね。
現在多くの寺社にある御神籤には入っていない文言ですから。
でも、有るところには有りますし、正式な御神籤の吉凶の段階には明示されているものです。
私的に考える理想的な御神籤の段階は……
大吉
吉
平
凶
大凶
だと思いますね。
伏見稲荷辺りだと12段階ある御神籤があるらしいですが……
では何故「平」「吉凶無し」が最良と言えるのか?
易学の観点から申しますと、運勢に「波」はつきもですが、波があることは必ずしも良いとは限りません。
「波乱」なんて言うぐらいですし。
ですので、古来より、特に東洋の人々は「平穏な日々」を最良と考えてきたのです。
「何も起こらない事が最も良い」と言うことです。
確かにそうかもしれません。
もし「何かあった」ら、今と同じ気持ち、同じ心で「次の瞬間」「明日」を迎えられるでしょうか?
「何事も無い」事こそ最大の幸福と言うことは言えないでしょうか?
この辺が西洋とは違う所で、運命学の世界でも西洋では「変革」「波乱」が逆に吉とされています。
でも、これは洋の東西に優劣を付けるのではなく、それこそ陰陽論の教えにある「陰陽混交」して新たなるモノを産み出す、西洋は「陽」であり東洋は「陰」なれば、並立して「両儀」となり、世界に常に変化を促し続ける。
その中で、東洋に属する我々は「動より静」に順応し、行き過ぎた変化を抑制する役割を担って来た。
故に、「平穏」を最良としている。
如何でしょうか?
もし、近々に御神籤を引く機会がありましたら、その場の吉凶に一喜一憂せず、是非とも御神籤の文面全てに目を通して見てください。
最近の「縁起物」としてカスタマイズされている御神籤でも、同じ大吉や吉であっても番号によって内容はかなり異なるのに気づくと思います。
そして、御神籤は引いたら是非ともお持ち帰りになり、心願・環境・不成就事などが一段落してから、引いた寺社にお納めになってください。
決して「大凶」だから「縛って置いて帰る」等ということはなさらぬよう。
「大凶」とは「底を打った」状態であり、大凶の御神籤の文面は持ち歩くだけで戒めになりますから。